初めての発達検査の日はまさかの大雨。なんだか幸先悪いなと思いながら、息子にレインコートを着せ、ベビーカーに乗せて更にレインカバーをかけて、旦那と二人、どしゃぶりの中ベビーカーを押して歩いていきました。
自転車で行けば10分ぐらいの距離なのに、歩くと30分。アクセスも悪く、当時は車もなかったので歩いていくしかなく、着いた頃には息子も私たちもズボンがびしょびしょでした。
受付を済ませて薄暗いロビーで待っていると、担当の心理士さんが部屋まで案内してくれました。
息子のズボンが濡れてしまっていたので、部屋で着替えさせてから検査をすることになり、幸い息子は部屋に入ることも拒否せず、着替えにも素直に応じて無事に席につくことができました。
夫と私の間に息子が座り、正面に心理士さんという形で検査が始まりました。今からはじめます!というような言葉かけはなく、「名前は?」「何歳?」などの会話からはじまり、気が付いたら検査がスタートしていたという感じでした。今回受けた検査は新版K式発達検査というものです。
事前に電話で検査中は保護者は子どもに口出しをしてはダメで、隣で見守ってくださいと言われていたので、ついアシストしたくなるのを堪えながら、親はじっと我慢です。
検査で息子ができないものがあると、むしろ普通の子はこれできるんだ?とへこんだり、できているものがあるとホッとしたり。
一通りの検査が終わると、その場で数値を計算してくれます。結果はDQ81で実際の年齢から半年程度の遅れということでした。すべての項目で81だったらまだよかったのですが、項目の中で得意なものと不得意なもののばらつきが大きく、息子の場合は言語理解は比較的高いのですが、認知適応は極端に低いなどの凸凹がありました。
検査結果を聞いたときは、やはり遅れがあるのかとショックでした。検査を受ける前までは、案外検査の結果も良くて、様子見で大丈夫ですとかだったらいいなと楽観的に考えていたのですが、見事に打ち砕かれました。
結果を聞いた後に心理士さんから息子への接し方についてなどアドバイスを貰うのですが、正直もう気持ちがいっぱいいっぱいであまり頭に入ってきませんでした。心理士さんの対応も意外と事務的に感じてしまい、結局私たちはどうすればいいの~?と感じたのを覚えています。
今思い返すと、当時の私は発達の世界のことを何も知らず、今回の発達検査が私にとって初めての息子の発達について相談できた場だったので、今までの不安や疑問をそこで一気に放出してしまったので、心理士さんもちょっと困らせてしまったかもしれません。
「息子は自閉症なのかなって心配で」→医者しか診断できないんですよ~。
「普通の幼稚園に受け入れてもらえるか心配で」→幼稚園探しのお手伝いはできないんですけど、加配とかついてる方がいいかもですね。
「病院とか行った方がいいですか?」→この年齢だと病院に行っても、まだわからないと思います。
などなど、当時の私はそれらの返答がとても塩対応に感じて暗い気持ちになったのですが、今考えると心理士さんも下手なことは言えないし、そう答えるしかなかったよねと思います。
最後に市の発達支援センターでやっている療育の案内をもらい終了となりました。その療育も月1のもので、週2ぐらいのもっとがっつりしたものを想像していたので少しがっかりしました。
帰り道、夫はあまりショックを受けている様子はなく、「とりあえず検査受けてよかったね。遅れはあったけどまだわからないよ」と楽観的な様子でした。私はというと、気のせいであってほしいと願っていたものがいよいよ現実のものとなってしまい、これから障害児の母親という修羅の道を進んでいくのかと、暗くて重い重い気持ちでいっぱいでした。
思い返せば今までの人生、例えば何か悪い病気かもしれないと病院に行って検査したら何ともなくて、気のせいでよかったねということばかりであった。逆さバイバイを始めたばかりの頃は、「気のせいだよ。私の人生にこんなこと起こるわけない」と信じていた。だけど今回はそうはいかなかった。
その日は私の誕生日が近かったため、帰り道に夫がケーキを買ってくれたが、全く明るい気持ちになれずに涙の誕生日パーティーとなりました。
過去にも今回の発達検査の記事を書いています。検査直後に書いたものなので、よりリアルな内容となっています。よかったらこちらも併せてお読みください。
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